[塾長ブログ]世帯年収と子供の学力の関係。
- カテゴリー: 未分類
皆さん、こんにちは!
STUDY STUDIO塾長の服部 智仁です。
皆さんも1度は聞いたことのあるコラム。「年収と学力の関係」です。
一般的には年収が高いご家庭のお子様は高学歴で、年収の低いご家庭のお子様は低学歴となっています。
高校を卒業するのが現代の常識です。
低学歴というのは高校・専門卒で就職した事を指し、高学歴は国公立大(特に難関)卒、もしくは大学院卒を指します。
現在の月収平均は高卒で18万円、専門卒で20万円、大卒で24万円、大学院卒で28万円です。
この時点で高卒と大学院卒で10万円もの差が生じています。
ですが、大学院を卒業するのは早くて24歳ですから、18歳からの6年後となります。
6年間、月収18万円で就業して、6年間で18万円×72回=1296万円。
10万円差を取り戻そうとすると1296万円÷10万円=129回の月収をもらわないといけません。
つまり13年程かかるという計算になりますよね。
追いつくのが37歳だと考えると、それまでに財産形成を出来れば高卒の方が収入が多い様に感じます。
残念ながら、この考えは間違っています。
給与は年に1度、査定がされます。
その際に大卒は約1万円、大学院卒は1万5千円程度昇給します。高卒は0~五千円程度です。
更に、大卒は5年、大学院卒は3年で昇進します。早い人で32歳で部長まで昇進する方もおられます。
そうなると、賞与の額にも差が出てしまいますよね。
この時点ですでに大学院卒の年収は700万円~1200万円となり、高卒は260万円程度ですので圧倒的な差が出来てしまいます。
また、学歴が高い学生のアルバイトは時給の高いものを選択できます。
加えて、企業から支援をしてもらい、学生起業が出来たり、就職以外の場面でもチャンスは広がります。
これらの事を考えると、18歳の時点では対して差はなくとも、10年、20年後に圧倒的な差として学力が影響を与えてきます。
世帯年収が多いと多くの習い事が出来たり、塾と家庭教師の併用で有名私立中学へ入学できる。
それを実行する為にはお金が必要だから、「教育=お金」だと考えてしまう方が多いようです。
大変失礼なお話ですが、収入が少ない方は収入が多い方以上の努力を行っているのでしょうか??
私は「この世に天才は一人もいない」と考えています。
世の中で天才・才能と謳われている人程努力を惜しまないと思うのです。
ですが、私達は煌びやかな彼らしか持た事がなく泥臭い努力をしている姿を見た事はありません。
だから、色眼鏡で見てしまいます。
「親が賢いと子も賢い」という事を面談時によく感じます。
これは私の思惑でしかないのですが、親が賢いとその背中を見て子は成長するので、子もその背中を見て賢くなると思います。
賢い人は物事を1人で解決する事が出来ます。
弁護士や医師などは特にそうで、主事は一人で判断しなくてはならず、それに対し期待以上の成果を残します。
このような事を有言実行している方々は、それ相応の教育を受けておりそれが当たり前となっています。
つまり、質の高い教育を自分の背中で語る事ができ、それを子が見る事で質の高い教育が成されているのです。
ですが、親が賢くないと、その親は教育と躾の判断を誤っている事が多くあります。
「批判されないように」「平和的に」な考えから「群れる」事を好みます。
どんな仕事をしても自分では判断できず「多数決」で判断するのです。
解りやすくするのに、サッカーを例にして説明させていただきます。
サッカーは11人それぞれが異なる役割を担っています。
FW、攻撃的MF、MF、守備的MF、DF、GK。ポジションも然りながら、個人に対しても求める能力が異なります。
その役割は自分にしか出来ず、誰かと協力して出来る事ではありません。
だから、サッカー選手は頭が良い選手が沢山おられます。
三苫選手は筑波大学出身で、テクニックもさながらスペースの活用やオフザボールの動きが卓越しています。
もし、これが「全員DF」や「全員FW」というポジショニングだとどうなるでしょうか?
個人個人の能力は低くても戦う事が出来ますが、攻めや守りに穴が出来すぎてしまいます。
その部分を突かれ攻められればフォーメーションは一気に崩され、太刀打ちできなくなります。
つまり、「個人個人の能力を活かして周りをいる事」=「客観視」が出来る者とそうでない者とでは圧倒的な差が生まれてしまいます。
意思疎通というものは客観視の出来る者同士が織りなす技です。
集団で行動する者は仲良しに見えますが、ただ傷をなめ合っているだけの関係となっています。
人は周りの環境によって成長するのであれば、傷をなめ合う環境にいては成長出来ません。
切磋琢磨する同志が必要なのです。
当然、彼らは1人で判断し、同志と共有し、成果を得ています。
それがなければ、成果を得る事は出来ません。
結果的に評価は低くなってしまい、それが社会的地位というものになってしまうのです。
自分1人で判断すると凡そ間違った観念を子供に押し付けてしまいます。
その最も良い例が「子供を心配する気持ち」です。
私が面談させていただいているご家庭のご両親は「子供が…」と、子供を主語にして話をされます。
ですが、開校当初にご来校いただいた品の悪いご家庭のご両親は「私達が…」と気持ちを押し付け、結果子供は「親が…」となります。
文章だけ読むと前者が「客観的」で後者が「主観的」となっていますよね??
ですが、逆なんです。
前者はご自身がそのようなご祖両親の下で成長し、その背中を子供が見て「ご両親みたいになりたい」と思ったのです。
後者は教育が備わっていまい固定観念を子供に押し付けてしまい、その背中を子供が見て「親が言うから」になります。
当然のことですが、意欲的な前者は成長に繋がり、受動的な後者は無能力・無利益を招いてしまいます。
年収と学力は、お金が関係しているのではなく、そもそも「考え方」が全く異なるのです。
優れた教育を受ける為には、やはりお金は必要です。
その費用を「子供が施町する為の投資」として学習塾にご期待いただけるのであれば、「学習支援」だけではなく「成長教育」
にも力を入れている当校のような学習塾で未来を変える事も出来ます。
日頃お世話になっているご家庭にはもちろんのことですが、これからお会いする皆様にも「子供の将来っと真剣に向き合う」を
実践し可能性を拡げて欲しいなと思います。